8 a.m.
今日も今日とて眠れないまま朝を迎えてしまいました
昨日はTOEIC
何年ぶりだろう??
とにかく久々でした
朝眠くて眠くて、また言い訳をしてサボろうとしてしまいました
でもそんな自分を許せるのか?と何度も問いかけてなんとか行きました
結果、行ってよかったです
正直点数がズタボロだろうなってくらい出来なかったんですけど。笑
とにかく行くのが大切ダネ
また自分を嫌いになるところでした
やる自由もあれば、やらない自由もある
時間だけはみな平等に与えられていて、わたしがサボった分だけあの子が努力してる
そんなもんなんですね、きっと
進撃の巨人の考察ブログを読んでいたら、興味深い事柄を見つけた
本能でやりたいと思うことを精神学的には「エス」、その反対側にあることを「超自我」というらしい
その間で揺れ動き最終的に決断する心のバランスを「自我」というんだとか
そして知ってすぐに私の場合はSMが分かりやすい例だなあと思うに至った
ときたま自分でも引くほどの性欲を感じる
そして何度も自分で解消してもそれは収まらないので、相手ありきの欲求なんだと悟る
具体的には責められたいと思う気持ち
側から見たらどうしてそんなことを?と思うだろうが、傷つけられることに性的興奮を強く感じる
被加虐性はストレスを感じると強くなり、理不尽に打たれたいだとか唾を吐かれたいとすら思う
ずっと性欲とうまく付き合えずもどかしい思いをしてきた
自分で解消できることやその展望があることならともかく、SMの世界だけはそれが難しい
↑↑
完全に言い訳です
だから性欲に負けて自分をおざなりにして傷つけてきた
そんな過去が、私にとってのエス
プレイとして傷付くのは良しとしながら、日常的に適当に扱われるのは本気で傷付く
日常の中のすれ違いなら、わたしの思い過ごしや勘違いもあるだろうけど
春に数ヶ月お付き合いした人に、人として完全にダメなことをされてしまった
元々SMをやってる自分を肯定できない部分があり、ずっとこれでよいものかと疑問に思っていたので、その出来事が決定的になってしまった
これがわたしにとっての超自我
もうやめた方がいいと思った
少なくともネットで相手を探すのはもうやめようと
・・・長々と書いてきましたが、何が言いたいのかと言うと
SMを続けながら幸せを追求するのは自分にとってすごく難しいなあと思うのです
じゃあやらなきゃいい、というのはごもっともなんですが普通のセックスでは基本的に興奮できないというのはなかなか辛い
じゃあ割り切って分けて考えればよいのでは・・?はい、そういう愛好家はたくさんいらっしゃいます
でもね、前に会っていた人で若い時は奥さんとSMをしていたという人がいて、
家庭外でパートナーを作ることを奥さんは了承しているから、と言う方がいらっしゃいました
わたしはそれを聞いて心底奥さんが気の毒だと思ったものです
だって若い女の身体のほうが興奮するって言う旦那さんをどうやって止めろっていうのでしょう?
変わった性癖だからこそ理解されないこと、解消されない苦しみがわかる
奥さんはますます旦那さんの楽しみを奪う気力が無くなるはずです
分かってないなあと
奥さんの気持ちもわからない人がわたしの気持ちを察することが出来るんだろうか?と甚だ疑問でした
いま過去を悔いてることもあり、きっとそんな割り切った関係を続けることはできないだろうと思います
そしてセックスが中心でない生活は安定感があります
私だって普通に幸せになりたいのです
普通の幸せに安定感は欠かせません
・・となれば答えは明確です。
明確なんだけども・・ってやつです。
わたしにとっての自我ですね
ちょーくだらない
くだらない、くだらない、本当にくだらないことばっかりだ
書いてて本当にくだらなすぎて、そして文章が下手すぎて呆れてきたので終わり