自由な人のブログ

地獄でなぜ悪い

大人になること

 

いま障害年金を獲得するため、いろいろな書類集めに奔走している。

過去のことを思い出すのにかなりストレスもかかっていて、かなしばり?フラッシュバックもおこったりしている。

 

口頭で伝えられないトラウマの話を書類で主治医にしたら、統合失調症の治療が見込まれる薬が処方された。実際にその症状が出ている人だけでなく、寝付けない人もよく処方されるらしい。

 

それを飲み始めてから全体の睡眠の質は良いのだが、入眠してすぐの現実との区別がつかないときに2回ほど自分の身体の上に誰かがぴったりくっついて重なる妄想にとらわれた。

 

「あ、玄関の鍵閉め忘れてたのかな、やばい、レイプされる。」と思う。

数分経つと何もしてこないので異常を感じ始め、自力で金縛りを解くことができるのだ。

 

とても疲れる。これが何なのか自分でもよく分からない。

 

 

 

 

高校2年生の時、些細なことで父親と言い争いをし、首を絞められる事態に陥った。

その後頼った当時の高校の教師のことに私はずっと感謝していた。

話を聞いてくれたし、その後家に送ってくれたし、父に「でも娘さんは死にたいとまで言っていたんですよ」と言ってくれた。

 

 

それでも・・、と最近思い返す。

あれがベストな対応だったとは思えないし、10年後のいまだったらまた違った対応になっていたのかな。

 

私の話を聞いてまず彼は「人はある程度の年齢になったらなかなか変わることができない」と言った。私の父は私が生まれた時点で39で、当時は56歳とかであった。

 

言っていることは分かる。でも親に暴力を振るわれて落ち込んでいる少女にかける最初の言葉がそれであろうか。

 

私が「一人暮らしをしたい」と告げると、彼は「資金はどうする気だ?初期費用は?生活費は?」と返す。

 

言いたいことは分かる、だが(以下略

 

つまり「現状を変えることはできない、あきらめろ、受け入れろ」というような意味合いのことを言われたわけだ。

 

正論だ。大人の世界では、その現実をうけとめてどうにか他の道を歩むことも選択できるかもしれない。

 

けれど当時の私は子供だった。少なくとも未成年者であった。

できることなど限られている。

 

もし、傷害事件として警察に届けてくれていたら、と最近よく考える。

田舎だから世間体を考えて(そんなことは子供には全く関係がないのだが)それが難しいのであったら、せめて児童相談所に報告してくれていたら。

私は自分が駆け込める役所があることも知らなかった。

子供とはそういうものなのだ。

 

 

数日後、私は教師に「クラスの子はバカばっかりだ、自分だけ辛い」とこぼした。

すると「そんなことはない、じゅりよりもつらい人だっているかもよ」と返された。

 

そのまた数日後、クラスで一番仲が良かった子の父親が病気で亡くなった。

私は彼女の父の病気のことを全く知らなかったし、その時は自分を愚かしく思った。

 

きっと担任の教師のなかでは私よりも彼女に気が回っていたのだろう。

けれど、それもまた少し違う。

 

彼女も辛かった、私もまた辛かった。

比べるものではないのだ。

 

最近母に「かばってくれなかったよね」といった趣旨のことをよく話すのだが、そのたびに「じゃあ離婚すればよかったの?大学にもいけてなかったよ?」と言われるのだ。

 

まず謝罪だろうがよ。

どっちに転んでも母がアル中の父を選んだ時点で私たち子供の不幸はある程度決まっていた。あとはどの選択肢がまともだったかという程度の話。

 

父と早く離れられていたら、私はコンプレックスやトラウマをこんなに複雑になるまで放置しなかったかもしれない。

 

経済的に厳しければもっと早くセーフティネットに繋がって、生活保護を受けられていたかもしれない。

 

でもすべて、「かもしれない」だ。

今の私が持っているもの全てクソってわけではなくて、もちろんいい出会いや発見もたくさんあった。

 

それでもやっぱり考えてしまう。

いま私はいい大人の年だ。

知っている子供が虐待されていて、「死にたい」とまで言っていたら、どうするだろうか?

もし助けられなかったら、数年後に本人から責められたときに言い訳をするだろうか?

 

ここ最近の私の目標は「成熟した大人になること」で、彼らの言動は理想とはかけ離れている。

 

 

 

 

 

 

 

就労移行支援施設に通い始めてからいい担当者との出会いもあり、メンタルが落ち着いているのを感じる。

 

通うまでは気分転換にたまに実家に帰っていたけれど、いま週3で通っているのでそんな暇はない。そしてそれがとても楽なのだ。

 

もう家族ごっこはやめよう。

私が親から受けた仕打ちは、確かにおかしなことだったのだから。

 

やっとこの罪悪感からも解放される気がしている。