不安の正体
8月頃に、弟が将来一緒に住むと約束してくれたと書いたけれど、昨日電話をしたら乗り気じゃないことが分かり、もうダメだろそんなん。と思った。
頭の中お花畑だったな。
彼は私を慕ってくれていて、助けてあげたいと思ってくれていると信じていた。
それはあなたの都合だろうと言われたら全くその通りでなんにも言えない。
私と暮らしたが、最後は追い出す形になったので、それがトラウマらしい。
確かにその後も呼びつけておきながら追い返したり、そもそも一緒に暮らしていたときも男性を連れ込んだり、頭のおかしい言動をしていた自覚はある。
でも忘れてた。
被害者は忘れないんだよね
それも忘れてた
当時、わたしは自分が持てる選択肢の中からベストを選んでやっていたつもりだ。ずっと健康ではなかったし、余裕があるわけでもなかった。お金だって親に頼っていた。わたしが彼にやってあげられたことは、最初に場所を提供しただけ、なのかもしれない。
それにしても、8月から3ヶ月しか経っていないのは笑った。
できないなら最初からYESって言わなきゃいいのになー。
彼の話では、NOではなくてYESらしい。
けれどどうしてもその話の展開は、NOを言うための道筋に感じられた
弟との電話を切って、すぐに友人に連絡した。
いま助けが必要なら、悔しいかもしれないけどへりくだって譲歩するのも手なんだろうと言われた。
正論を言えば解決することではないのだと
うん、確かにそうなんだろう。
でもね、やっぱり、そこまでして、、と思ってしまうのは私のくだらないプライドなんだろうか。
私が何か言うたびに弟が「そうじゃない」とか「そういう言い方をされると話す気が失せる」と言うのが気になる。
決めつけている、ということなのだろう。
過去にお付き合いした人からも、よく言われた。
それでも、言葉がどうであれ行動は白と黒2つしかないよ、と思ってしまう。
あなたがどんな意味を込めて私に優しい言葉をかけていても、一緒に住めなかったらそれはゼロだ。
むしろ、それができないなら苦しいから関わってほしくない。
これは、わたしの幼稚さなんだろう。
わたしは、最近になっていかに自分が黙らされていたかを思い知った。親を思って、親と仲良くしたくて、ピエロにもなったし思ってないことを思っていることにした。
それは苦しいことだし、やりたくない。
もう「やりたくない」と言える自分を大切にしたい
弟は、私と住むことで自分も鬱に引き込まれてしまい落ち込むのが怖いのだと言っていた。
まず自分を守りたいのだと
それは私にも理解できる
そしてそれは私にとっても同じことだ
きっと、こんな調子で一緒に暮らしてもうまくはいかないだろう。A:衝突しないで仲良く電話だけする と、B:暮らして衝突する だったら、わたしはBのほうがいい。
何にもやらずにうまいことフワフワ漂うのは性格に合わないし、それなら本音を言い合いたい。
けれど弟はÀがいいらしい。
そうでなければ彼の心は壊れてしまう可能性が大きいらしい。
そこまで言われたらもう何も言えない
正直、頼らなければよかったと思った。
8月にもメンタルの限界をむかえてすがったつもりだったのだが、今回の電話で彼にその緊迫さは伝わっていなかったことが分かった。
一旦喜んだばっかりに、地の底に叩きつけられた気持ちになる。
それならば、最初から一人でいたかった。
これは最近わたしが繰り返し感じていることだ
助けてくれないのなら、話したくない
期待したくない
自分ほど、自分のことを考えてくれる人はいない
当たり前だ
親との関係もそこまで酷くはなくなったけど、同時にもうこの人たちに振り回されるのはやめようとも思うようになった。
もうこの家族は過去だ
辛かった日々も過去で、わたしが変えられるのは現在とそこから繋がる未来だけだ
発達障害の検査を受けました
正直まあまあできたなと思ったからやっぱり違ったかな?と思ったけど、結果としては黒よりのグレーだと言われました
ショックではあるよね
でも同時に、あらゆることが合点がいく感じがしました
この生きづらさに名前をつけてもらって、安心したのかもしれない
障害者雇用をサポートする施設みたいのにも連絡してみました。
これは私にとっては大きな一歩でした
ストレスがかかってる
でも新しい心療内科の主治医は私を治そうと最善を尽くしてくれているのが伝わってくる
ここを逃したらわたしはきっとよくなれない
今が踏ん張りどころなんだ
はあー、旅行に行きたい
福岡に貧乏旅行に行こうとか考えたけど、お金なさすぎて何にも楽しくなさそうだからやめました
障害者枠で働けてもさ、今と同じような生活なんじゃないのー?
不安はたくさんありますよ、もちろん
でももう待っているだけも疲れた