自由な人のブログ

地獄でなぜ悪い

私は陽性である1

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コミュニケーションにおいて、何を話すかよりも何を話さないか、黙っておくかに注力している自覚がある。

 

私は機転のきいた応答が得意ではないし、そもそも口頭でのコミュニケーションだとたびたび失言してしまうので一層気を付けるようになったのだ。

 

そのような人間にとって、面白い返しをするよりも「必要なときにだけコメントする、あとはリアクションで聞いていますよとアピールする」ほうがずっと簡単なのだ(と思う)。

 

いろいろ書いたけれど、全部言い訳で、自分を正当化しているだけかもしれないとも思う。

何故なら、私は人に嫌われることをひどく恐れているからだ。

 

 

 

 

嫌われる人には嫌われる。それは避けることができないし、まだ起こってもない未来に怯えたところでそれは徒労。理屈は分かっていても、18年間生存戦略として培ってきたふるまいはなかなか変えるのが難しいなと感じている。

 

これを読んでくれている人が私にどんな印象を持つかは想像するしかないのだが、とにかく自分では臆病な人間だと思っている。

最近気が付いたのだが、私が関係を続けられる人間はみな「簡単には怒らない」人なのだ。なんということだろう。

 

 

 

やっと本題。

 

いま週に3回、就労移行支援施設に通っている。

 

昨年の終わりごろから準備して、見学もした。

見学の時点では本質を見極めるのが本当に難しく感じたので、最終的には第六感でいまのところに決めた。

 

それは大きな賭けだったのだけど、どうやら今回ばかりは勝ったらしいと思っている。

 

生まれてからいろんな組織に所属せざるを得なかったわけだけど、私は正直程度の違いさえあれどすべてうっとうしかった。

家族、学校、会社、その中のさらに小さなグループ。

人間がたくさん集まるととにかくみんなどこかおかしくなってしまう、というのが人間嫌いの私の見解だ。

 

 

男とか女の前に、人がたくさん集まるところには極力行きたくない。

 

けれどいまの施設は違った。

「この人には話しても引かれないだろうな、話してもいいかもしれない」と思える職員が多いし、福祉の施設にありがちな子ども扱いもされない。自立を促してくれるのだ。

 

 

先月にコロナウイルスのワクチンのブースター接種をしてひどい副反応がでた。

いつも通り母のリアクションは「何かあったら連絡して」で、その時点では私は何も感じなかったのだが、その後施設の職員と話したら印象が変わった。

 

「アイスノンありますか?ごはん食べられますか?眠れてますか?」と心配してくれたのだ。

そう、これが心配。これが、求めていた行為。

 

施設に通う前まで、私は一人で決めたことがことごとく失敗した気になっていて自信も喪失していたし、人間不信にも陥っていたと思う。

 

29年間その状態だったのだから、なかなかその氷は解けるものではないと思う。

思うのだけど、職員たちはなんでもないことですよいう顔をして溶かしてくれる。

「北風と太陽」の太陽みたいだ、と思う。

 

 

私はこれからの人生、もう太陽のような人にしか関わりたくない。

同時に自分も人に対して北風のような対応はしたくない。

それが人生のゴールであるかのように、ここ数か月ではっきり分かってしまった。

 

 

 

 

・・・ふう、疲れたので今日はここまでにするけれど、これはシリーズ化して退所&就職まで書き続けようと思う。

 

朝晩と昼とで気温が違う日が続くので、ご自愛くださいね。