challenged
もう1年ほどセックスをしていない
私にとっては驚異的な記録に思える
16で処女ではなくなってから、もうずっと薬と共に私の生活の側にいた
人を選べば、女でもセックスを楽しめると思っていた
けれど、偶然若い時に知り合った人が良い人だっただけで、悪意に満ちている人がたくさんいることをこの1年で悟った
それでもしたくなるときはある
特に眠れない夜中
自分を傷つけたくて仕方ないとき
そんなときは、少し過食する
少しというのは、一般の人からみたらそんな夜中に..という量、過食に慣れている人からしたら多分普通の食事量
そして太るのが嫌だから食べながら明日のことを思ってセーブしている
つまり、今私は何にも依存していない
自分の人生を生きているし、フラフラだけど自分の足を福祉で支えてもらいながら何とか立っている
不安だ
心がざわざわする
でも、これでいいんだと思える
これがもっと確信に変わるにはもう少し時間が必要なんだ
私も、変われるのかな
変わる時の痛みなのかな
私の幸せってなんだろう
最近よく考えるようになったのだけど、ポジティブな言葉は思いつかず、「やりたくないことをやらない人生」とかになってしまう
けれど別にそれでいいじゃん!
笑っちゃうくらい寝つきが悪いうえ夜中に目が覚めてしまうので、数年ぶりに薬を少し変えてもらった
ずっと組み合わせが自分にあっていると思ったいたので、決断までに数ヶ月を要した
いまのところ、あんまり効果は感じてない
季節の変わり目だから仕方ないのか
命の帳/東京事変
なぜ僕の肌へ触れるのその理由を伝えて来て
胸もとへも太ももへも宿してよあなたの本音
ただ少し冷えたからとか漠とした虚しさとか
生温い皮膚の合わさる継ぎ目から受け取っているんだ
しかし自分の欲しい答えなんていつも一つだけだった
誰かの肌へ触れるのはあなた独自のランキング首位を
知らせる術目的はそう絞ってよ僕を一位に選んでいる
と、無言に込めて欲しいじゃなきゃ二度と触んないで
生きているって危なっかしくって
どの道擦り減って傷付け合う同士
ならばもっと慈しみ合っていたい
いまあなたへ触れる指は宇宙一と伝えているよ
もうええわ
今朝友人から連絡があり、スケジュール帳はまだハンズに売っているよーという話をしていたら、その流れでゴンチャのタピオカミルクティーの話になり、なんとついでだからと買って届けに来てくれた。
わたしは、体調が悪くて朝から落ち込んでいてお風呂もやっと入ったので悪いので、というていで一旦断ったのだが、結局ありがたく来てもらうことになった。
元気そうでよかったよー、はいこれちょっと温くなっちゃったけど、じゃあねー!というあっさりさで去っていった。
その人は56歳らしいのだけど、わたしが母にして欲しいのはこういう優しさだなあと思い知ってしまった。
母はアパートの近くにきても、何年も行き慣れているまんじゅう屋のまんじゅうしか買わない。
そしてそれを私にもくれる。
そのまんじゅうは美味しいし、私も好きだ。
でも、貴方の食べたいものを食べに行こうよとは言ってくれない。
もし提案しても、高いからとか慣れていないからと断るだろう。
断りはしなくても、嫌な顔はするだろう。
それが分かっているから、わたしは提案しなくなった。
まんじゅうをくれる母にお茶を入れて美味しいと感想を言って、特に何も望まない。
それが私と母の関係で、もう数十年になるものなので、そうそう変わりもしない。
実は今日は夏バテというか風邪気味で、本当は誰かに甘えたかった。
ポカリを買ってきてもらうとか、ご飯を作って欲しかった。
でもたったそれだけをしてもらうために来てもらうには、私のアパートと実家は遠すぎる。
だからよくないことがあっても1人で解決するし、報告も終わった後だ
だからこそこのタイミングでのタピオカミルクティーは本当に嬉しかった。
ねえお母さんは、どうして実家に住めばいいじゃんって言ってくれないの?そのくせ宮崎には住んでいて欲しいの?「近くにいれば何かしてあげられるから」って、実際何かできているの?それって私のためじゃないよね、自分が可哀想だからだよね?
最近はアパートにすら来ないじゃない。
そんな言葉を並べても、私たちの何かが好転するわけじゃない。
彼女をこれ以上責めたいわけでもない
過去はどうやったって変わらないから
この先あの人たちも変わらないから
そんなことにエネルギーを使うのは虚しいことだから
今月もすでに食費がカツカツなので、月末は実家に帰ろうかなと考えていたけれど
TOEICなどの試験のために貯めているお金を使えば帰らなくても大丈夫かなと思ったらホッとした。
今はこの1人の生活が安全で安心できて、幸せだ。
無理に歩み寄らなくてもいい、いいよね。
過食したい夜に
自由とは何か。
自由とは、不自由ではないことだ。
ということは、私の生活から一つずつ不自由を取り除けば自由に近づけることになるはずだ。
以前書いた日記に登場するフィルマークスのフォロワーのTwitterも登録したら、彼が東京の街をのびのびと歩いていてあちらに戻りたい欲が高まっている。
東京では、電車でどこへでもいける。
車がなくても支障がない。
そしてそれが普通だから、何故所有していないのか説明する必要もない。
行きたい場所にすぐ行けることが、何よりも自由なんだと思っているところがある。
それは、運転免許がない子供にはどこかへ行くにも不自由を強いられる環境で18年間育ったからなんだろう。
そして今私はそんな田舎にすら住めていない。
ど田舎でもなく、近所に自転車で行ける範囲でお店は揃っている。
けれど美術展は宮崎ではやらない。
歌舞伎や、お笑いや、ミュージカルを見たいと思っても選択肢すら与えられない。
選択肢がある、というのは自由だ。
今の生活は、不便ではないが面白くはない。
ないないと言い続けるのも癪なので良いところもあげよう。
まず、人が少ない。
もうスーパーにまで並ぶ生活はまっぴらごめんだ。自転車も比較的適当に置いておいても怒られない。チェーン店とかは厳しいけどね・・。
それから、野菜が安い。
今日はトマトに切れ目を入れて、サッと湯通しし皮を剥いておひたしにした。
夏バテでも食べられる。
それから、日向夏が育つ。
前回実家に帰った時に食べた日向夏から種を拝借したのだけど、今日ようやく植えられた。
調べると、日向夏は九州南部以南でないと育たないらしい。
といっても、柑橘系が実をつけるのは8年後とかなので私は観葉植物のように愛でるつもりなのだが。
アマゾンでエゴマの種も買ったからそれも植えてみるつもりです。
そんな、のんびりした梅雨を過ごしています
アジ
穏やかな気持ちになれると、ああ今の自分好き、こういう気分で死ねたらいいのにと思う。
テレビの砂嵐みたいに(最近はああならないのかな?)心がざわつく時が多いけれど、穏やかな気分に旗を立てておいて、一瞬でその旗に戻れたらいいのにと思う
BUMP OF CHICKENの「メロディーフラッグ」のように
久しぶりの更新になってしまった
5月の末にある電気の試験を受けるべく、お勉強をしていた
ようやく、筆記は受かるかなと自分で思えるくらいには理解できるようになった
・・のだけど、7月の実技試験に必要な道具が足りないことに今更気がついてしまった
それらを全部合わせると1万円
毎月使えるお金を計算して、予定を立てている私には数ヶ月先まで払えない金額だった
またか
またできないことが増えた
確認して、事前に準備すればいいだけなのに
健康なときの自分だったら、屁でもないことだったのに
またできないことを確認する作業か
そもそも、本当にできないことだったのかな?
逃げるための口実なんじゃないの?
スケジュール帳に書かれた勉強時間を見るとちゃんと頑張っていた自分がいるのだけど、それすら信じられなかった
ちょうど心療内科の診察日だったのでそのことを話して、先生も思っていたよりわたしの具合が悪いことに気がついたみたいで
次回からカウンセリングを受けるかも?という話になりました
受けるかも?と疑問形なのは、その病院は自費ではなく全員にカウンセリングしているわけではないからです
仕組みはよく分からんのだが
それから数日たってそれなりに持ち直していたタイミングで、訓練校に通っていた時のお友達から連絡がきた
愚痴を話すのもどうなのかなと思いつつ話したところ、もうその人は試験を受けるつもりはないので工具を譲ってくれるとのこと
・・嬉しい!
もちろんお金が浮いて、自分で払うより早めに受けることができるようになるのはもちろんだけど、
応援してもらえることが嬉しかった
私はこの試験を受けることを母親に話していなかった
なんというか、ここ数年やるやると言ってできないことが多かったからもうガッカリさせたくなかったし
受かってから話せばいいやと思っていた
でも本当は、聞いて欲しかったのかも
受かったらいいね、でも受からなかったとしてもそのプロセスに頑張ったことが大事だよと言って欲しかった
工具の受け取り時、久しぶりに友人とその娘さんと外で話して、ご飯を食べて、すごく救われた
娘さんは、何故かすごく慕ってくれていて勉強を続けるわたしに「かっこいいです」と言ってくれる
即座に私から出る「まだ受かってないからかっこよくないよー」という言葉。
自分の卑屈さが嫌になるくらいに、彼女の瞳は美しい
世界は悪意で溢れている
増えすぎた情報から選択することは難しくて、簡単に足元を救われる
けれど、自分の手のひらに収まるくらいのものしか幸せを感じられないのが人間ならば
わたしは娘さんの言葉を信じたい
そんな風に言ってもらえるにふさわしい人間になりたい
もう悪意を追いかけるのはやめた
母を始めとして、自分を愛してくれない人に「なんで?どうして?」と詰め寄るのはやめた
それはとても不幸せなことだから
紺青
先日、結構近いのに行けてなかった公園に行った。
博物館も併設されているような規模で想像より広くて、何より季節が良かったのでいい写真がたくさん撮れた。
初夏ダイスキ!!
大半は歩きながら少しランニングをし、帰りにブックオフに寄り、お金を使うことなく充実した一日だった。
いま使っている中華アンドロイド、oppoはフィルターをかけるだけですごく上手に撮ってくれるので写真を撮る機会が増えた。
白黒の人物の写真が好きなのだけど、さすがにそのへんの人を撮るわけにはいかないので人以外で我慢してる、、
写真といえば石本一人旅というカメラマンが最近旅をしていて、その日記がすごく好きだったので個展に行きたい。
行きたいと思ったらすぐ行けるからやっぱり都内に住みたいなあ。
少し前になるのだけどルーブル美術館がほとんどの展示物をオンラインで無料で公開したので見たのだけど、想像の100倍は数があったのでゴーギャンとドガしかまだ見れていない・・。笑
そして青空文庫のアプリをダウンロードしたら便利すぎて江戸川乱歩の小説を何作か読んだ。
起承転結分かりやすくて読みやすい。
無料のサービスも多くて有り難いな〜と思う反面、コンテンツが多くて混乱してる自分もいる。
Netflixのドラマとかどれを見るか迷子になっちゃうもんね。
今日も眠れない夜に更新
carnage
隣の部屋に住んでいるおじさんの騒音が、限界を迎えている
気づいたのは一年ほど前で、もしかしたら仕事に出てたからそれほど部屋にいなくて気づかなかったのかもしれない
夜の22〜23時とか、ありえない時間帯になって音楽を爆音で聞き出す隣人に私は頭をかかえた
おそらく耳が悪いらしくテレビの音も大きいのだが、夜は外の音が少なくなるのでびっくりするくらいうるさく感じてしまうのだ
直接注意しようかなとか、管理会社に連絡しようかなとかいろいろ考えた結果、自分で手紙を書いてポストに入れておいた
その2日後くらいに音楽は止み、ホッとした
おそらく下から下からの文章だったので、理解してくれたのかなと思った
それからしばらくは平和だったのだけど、また最近騒音がひどい
何故夜中になってテレビを見始めるんだろうか?いや、テレビを見るのは全然構わないんだけど、イヤホンをつけるという選択肢が何故生まれないのだろう?
特にわたしは音に敏感で、イヤホン無しで映画などを見るときは音量を最小にし、それでもうるさいと感じることもあるほどなので
おじさんのことが理解できない
少し前までは、そんな人も理解しようとか言えば分かってくれるだろうと思ってた
でもそうじゃない
注意しても女というだけで逆上する人もいる、そんな人に正しいからと言って声をかけてもし加害されても誰も守ってくれない
と、思うようになった
結局逃げるしか無いのか
それだけでなく、酔っ払っているのかなんだか分からないけれどおじさんはよく暴言を吐いている
おじさんというのは、何故「バカが」と口走るのだろう
うちの父もそうだった
昼間でも聞こえてくる誰に向かって言っているのか分からない暴言を聞くたびに、幼い頃のトラウマを思い出して憂鬱になる
ベランダにでて言っていることもあるので、ときたま朝それで起こされる始末だ
・・・何がそんなに気に入らないんだろう。
世界が憎いのは分かったけど、せめて静かに暮らして欲しい
まあわたしが一日中家にいるから気になるだけか
先日、ついに誰かが苦情を言ったのか管理会社からの騒音についての警告が来ていた
・・が、騒音を起こすような人にこんなんで分かるはずないって内容の優しーい優しい文章だった
ちなみにわたしは2つ隣に住んでいるおじさんがわたしの部屋の前でする喫煙にも悩まされている
朝、暴言で目覚めてそのおじさんのタバコの臭いがリビングまで漂って来ると、もうほんとに引っ越したいと思う
出来れば女性しかいないアパートに
いや、予算的に無理だけど
騒音って転職と同じで運の要素が強いし、被害者が泣き寝入りするしかないから嫌だよなあと思う
はい、今日は愚痴ですすみませんでした