アジ
穏やかな気持ちになれると、ああ今の自分好き、こういう気分で死ねたらいいのにと思う。
テレビの砂嵐みたいに(最近はああならないのかな?)心がざわつく時が多いけれど、穏やかな気分に旗を立てておいて、一瞬でその旗に戻れたらいいのにと思う
BUMP OF CHICKENの「メロディーフラッグ」のように
久しぶりの更新になってしまった
5月の末にある電気の試験を受けるべく、お勉強をしていた
ようやく、筆記は受かるかなと自分で思えるくらいには理解できるようになった
・・のだけど、7月の実技試験に必要な道具が足りないことに今更気がついてしまった
それらを全部合わせると1万円
毎月使えるお金を計算して、予定を立てている私には数ヶ月先まで払えない金額だった
またか
またできないことが増えた
確認して、事前に準備すればいいだけなのに
健康なときの自分だったら、屁でもないことだったのに
またできないことを確認する作業か
そもそも、本当にできないことだったのかな?
逃げるための口実なんじゃないの?
スケジュール帳に書かれた勉強時間を見るとちゃんと頑張っていた自分がいるのだけど、それすら信じられなかった
ちょうど心療内科の診察日だったのでそのことを話して、先生も思っていたよりわたしの具合が悪いことに気がついたみたいで
次回からカウンセリングを受けるかも?という話になりました
受けるかも?と疑問形なのは、その病院は自費ではなく全員にカウンセリングしているわけではないからです
仕組みはよく分からんのだが
それから数日たってそれなりに持ち直していたタイミングで、訓練校に通っていた時のお友達から連絡がきた
愚痴を話すのもどうなのかなと思いつつ話したところ、もうその人は試験を受けるつもりはないので工具を譲ってくれるとのこと
・・嬉しい!
もちろんお金が浮いて、自分で払うより早めに受けることができるようになるのはもちろんだけど、
応援してもらえることが嬉しかった
私はこの試験を受けることを母親に話していなかった
なんというか、ここ数年やるやると言ってできないことが多かったからもうガッカリさせたくなかったし
受かってから話せばいいやと思っていた
でも本当は、聞いて欲しかったのかも
受かったらいいね、でも受からなかったとしてもそのプロセスに頑張ったことが大事だよと言って欲しかった
工具の受け取り時、久しぶりに友人とその娘さんと外で話して、ご飯を食べて、すごく救われた
娘さんは、何故かすごく慕ってくれていて勉強を続けるわたしに「かっこいいです」と言ってくれる
即座に私から出る「まだ受かってないからかっこよくないよー」という言葉。
自分の卑屈さが嫌になるくらいに、彼女の瞳は美しい
世界は悪意で溢れている
増えすぎた情報から選択することは難しくて、簡単に足元を救われる
けれど、自分の手のひらに収まるくらいのものしか幸せを感じられないのが人間ならば
わたしは娘さんの言葉を信じたい
そんな風に言ってもらえるにふさわしい人間になりたい
もう悪意を追いかけるのはやめた
母を始めとして、自分を愛してくれない人に「なんで?どうして?」と詰め寄るのはやめた
それはとても不幸せなことだから