もうええわ
今朝友人から連絡があり、スケジュール帳はまだハンズに売っているよーという話をしていたら、その流れでゴンチャのタピオカミルクティーの話になり、なんとついでだからと買って届けに来てくれた。
わたしは、体調が悪くて朝から落ち込んでいてお風呂もやっと入ったので悪いので、というていで一旦断ったのだが、結局ありがたく来てもらうことになった。
元気そうでよかったよー、はいこれちょっと温くなっちゃったけど、じゃあねー!というあっさりさで去っていった。
その人は56歳らしいのだけど、わたしが母にして欲しいのはこういう優しさだなあと思い知ってしまった。
母はアパートの近くにきても、何年も行き慣れているまんじゅう屋のまんじゅうしか買わない。
そしてそれを私にもくれる。
そのまんじゅうは美味しいし、私も好きだ。
でも、貴方の食べたいものを食べに行こうよとは言ってくれない。
もし提案しても、高いからとか慣れていないからと断るだろう。
断りはしなくても、嫌な顔はするだろう。
それが分かっているから、わたしは提案しなくなった。
まんじゅうをくれる母にお茶を入れて美味しいと感想を言って、特に何も望まない。
それが私と母の関係で、もう数十年になるものなので、そうそう変わりもしない。
実は今日は夏バテというか風邪気味で、本当は誰かに甘えたかった。
ポカリを買ってきてもらうとか、ご飯を作って欲しかった。
でもたったそれだけをしてもらうために来てもらうには、私のアパートと実家は遠すぎる。
だからよくないことがあっても1人で解決するし、報告も終わった後だ
だからこそこのタイミングでのタピオカミルクティーは本当に嬉しかった。
ねえお母さんは、どうして実家に住めばいいじゃんって言ってくれないの?そのくせ宮崎には住んでいて欲しいの?「近くにいれば何かしてあげられるから」って、実際何かできているの?それって私のためじゃないよね、自分が可哀想だからだよね?
最近はアパートにすら来ないじゃない。
そんな言葉を並べても、私たちの何かが好転するわけじゃない。
彼女をこれ以上責めたいわけでもない
過去はどうやったって変わらないから
この先あの人たちも変わらないから
そんなことにエネルギーを使うのは虚しいことだから
今月もすでに食費がカツカツなので、月末は実家に帰ろうかなと考えていたけれど
TOEICなどの試験のために貯めているお金を使えば帰らなくても大丈夫かなと思ったらホッとした。
今はこの1人の生活が安全で安心できて、幸せだ。
無理に歩み寄らなくてもいい、いいよね。