自由な人のブログ

地獄でなぜ悪い

風見鶏

ずっとずっと場所が悪いのだと思っていた。

 

こんな田舎が悪い。親が悪い。

ここにいなければ、他のどこかに行くことができれば、自分はもっと力を発揮できる。

もっと自由になれる。

 

しかし、現実はそうならなかった。

 

自分は自分以上の何物にもなれなかった。

 

過去を開き直るわけではないけれど、あまり後悔をしないタイプだ。

 

昔お付き合いしていた人に、「ボーダーだ」「境界性人格障害だ」と言われたことがある。

どうしてそんなこと言うの、そんなカテゴリーに当てはめるだけじゃなくて、私をきちんと見てよ、と思って悲しかった。

けれど確かに、私はそれに当てはまる行動をたくさんしていた。

 

 

今となっては、もう付き合う人に無茶を言ったり試したりするようなことはしないと思う。

もうそんな体力がない、というのもあるし、あのころはそうするしかなかったけれど、いまはもうそれが正しいとは到底思わないというのがある。

 

どちらかが、もしくは両方がストレスを感じるくらい我慢しないと成り立たない関係なんて、何の意味があるんだろうか、と思ってしまう。

 

そう思ってしばらく時間が経って、故郷に帰って一人の時間が膨大に増え(というよりほぼ一人の時間)、自分と向き合わざるを得なくなった。

 

とても辛い時間だ。

誰にも相談できないし、誰かが道を示してくれることもない。

 

家族や、子供、会社。

何かに属している人間を見ると、大変だなあ、自分にはできる日が来るんだろうか、きっとしばらくは無理だなと思って、ああー!一人って自由ってサイコーと思う。

 

同時に、とてつもない孤独がずっしり胸の真ん中に暗くよどめいて、それが日ごとに私に中で大きくなって、涙が出ることも増えた。

 

最近、精神科の医師と話して、ああなるほどねと思ったことがある。

 

「全部は手に入らないからね。私はこの働き方が気に入っているけれど、もちろん大変なこともあって、くじけそうなときもあるよ。何かを手に入れるときは何かが犠牲になるのよ。もう私はここを捨てたり離れたりすることはできない。だから、あなたの身軽さがうらやましいよ。」

 

といったようなことを言っていた。

 

大人になると、こういった話をすることは減る。少なくとも私に周りではそうだ。

もっと恋愛の話なんかじゃなくてこういう話がしたいけれど・・。

 

みんな日々何かを選択して生きているんだなあと実感した。

これを読んでいる人は、「いやそんなの当たり前だろ」と思うかもだけど・・。笑

 

人と会話したり、話し合う時間は自分にとってはものすごくストレスだ。

絶対に分かり合えない人も一定数いるだろう。

でも、分かりあおうとする行動をやめたら、私が人間である所以はなんだろうか・・なんて思ってしまった。

 

だから、まあ、一人が楽だ!とは思うけど、

だからもうずっと一人でいい!なんて開き直って公言するのはやめよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ザ・デイ・アフター・トゥモロー」という映画をみて、ふと幼いころに父と見た映画はなんというタイトルなのだろう、と調べてみることにした。

 

ラストシーンしか思い出せない。

迫って来る津波に親子が抱き合って、それを受け入れるのだ。

 

幼いわたしは到底理解できなくて、どうして?どうして?と何度も父に尋ねた。

どうして逃げないの?どうして泣かないの?おかしいよ。

 

「どうしようもないからだよ、自然というのはそういうものなんだ。」

 

いま思うと、実に日本人らしい考え方だと思う。

欧米人にもこういう考え方はあるんだろうか・・(差別してるつもりではありません)

 

 

さすが、情報社会、ラストシーンだけでもなんていう映画なのかすぐに分かった。

 

ディープインパクト

 

アルマゲドンインデペンデンス・デイなどと比べられて、あまり評価されていない映画らしい。

あっさり分かって、何故か私は腑に落ちなかった。

そんなにがっかりする映画なんだろうか。じゃあ私は一生見返したりしないな。

 

そのときハッと気が付いた。

私は、父との思い出を大切に抱きしめていたんだ。

 

その映画は、あんまりいい思い出ではなかったはずだ。

津波というのはそんなに恐ろしいものなのか、いつか自分も津波に巻き込まれたらどうしよう、となってしばらく寝付けなかったり泣いたりする日々が続いたほどだ。

 

 

あのころから、私と父の間の時間は止まっている。

 

父は仕事をやめ、映画をやめ、読書をやめ、酒だけはやめなかった。

今も毎日、死ぬまでの暇つぶしで酒を飲んでいるはずだ。

 

父を思うと、すごく悲しい。

何年も話をしていないので彼の心境は定かではないが、きっと私たちは似ているのだ。

何も話さなくても、彼が死を待っていることだけは分かる気がする。